三社(さんじゃ)のいわれ

今から1370年ほど昔、隅田川で漁師をしていた檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の二人の兄弟が魚網の中から一像を持ち帰り、土師真仲知(はじまなかち)に見せたところ、土師(はじ)はこれは尊い観音像であると二人の者にその功徳を説いた。
三人は堂舎を構えて寺としその観音像をお祀(まつ)りするようになったという、これが浅草寺の起源であり、この三人が浅草の開拓者としてあがめられ、三社大権現として平安末期(約八百年前)祭祀されるようになった。その後明治六年三社大権現の名称は廃され、現在は浅草神社とよばれている。
その大祭の神輿渡御(じんよとぎょ)は江戸第一の荒祭りとして浅草人の血を湧かせ、その賑わいは全国に喧伝(けんでん)された。又、現在の社殿は徳川三代将軍家光が慶安二年(一六四九)に建立寄進した、江戸初期の代表的権現造り建築で、幾多の災厄をのがれ、国の重要文化財に指定され、昭和三十八年と平成八年に多額の国費の補助を受け創設当時の姿に修復された。

       

各町神輿連合渡御

三社祭(浅草神社)の氏子町会は南部町会、東部町会、西部町会の3つの組に分かれ合わせて41町会あり、各町会の神輿が観音堂裏に約100基勢揃いする。三社〆を合図に各町会の神輿は浅草神社でおはらいを受けて地元の町会に戻ることを各町神輿連合渡御といい土曜日の午後から行われる。

 
宮出し・宮入り

本社神輿は三体あって、一之宮、二之宮、三之宮と呼ばれている。日曜日の朝6時になると三体の神輿がそれぞれの町会に渡御するために境内から神輿を出すこと宮出しといい、日没に戻ってきた神輿を境内に納めるのを宮入りといいます。
 
今回、私は花川戸一丁目町会のお囃子の屋台を押しながらお祭を楽しみました。
 
お囃子の重たい屋台を動かす人を「合力(ごうりき)」といい、お囃子の人は若い女の娘や小さな子供達でみんなお揃いの半纏を着ています皆練習を積んでいて今日はお披露目です。
 
お囃子は「大胴(おおどう)」、「締め太鼓」、「笛」、「余助(よすけ)」で構成されています。曲目は「屋台」「昇殿」「鎌倉」「四丁目」「玉打」「投遣り」「獅子舞」があり、それぞれの状況によって変えているそうです(私には良く分かりませんが・・・)
  
お神輿の行列はまず高張提灯、屋台、奉幣(オンベ)、お神輿の順で練り歩きます、出発の合図はもちろん「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」の一本〆です。お神輿はニ天門から入りました、境内は見物人で混み合っていてその中を屋台を動かすのは大変でした。
お神輿が浅草神社でおはらいを受けた後、馬道通りから花川戸一だけに許される東武線の南口階段下に神輿が入りました(私の密かな楽しみである)何しろビルの中なので歓声が反響しかなり盛り上がります、その後江戸通りを通って町内の神酒所(みきしょ)に戻りました。
   
夕方からは、宵神輿(よいみや)です、ここ花川戸は「花川戸一」、「花川戸ニ」、「浅草馬一」で三ケ町連合を組んでいるので近くの花川戸公園に集合してから各町会をそれぞれ連なって進んで行きます、三ケ町連合には当番町会が毎年順繰りに決められていて今年は浅草馬一です。話はちょっとそれますが、神輿の一番上には「鳳凰」がついていますが本社神輿は一之宮にしか付いていません二之宮、三之宮には「凝帽子(ギボシ)」と言われる丸い飾りが付いています。それを習ってか、三ケ町連合の時は当番町会だけが「鳳凰」が着けられるのです。花川戸一、花川戸ニには「ギボシ」が付け替えられています。出発の合図はもちろん「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」の一本〆です。自分の町会に入る時にはその町会神輿が先頭に替わります。各町会を練り歩き馬道通りから柳通に入る頃には薄暗くなっていました、いつのまにか提灯に火が入り一層雰囲気が盛り上がります。
 
今年の三カ町の当番町会浅草馬一を先頭にいよいよ仲見世から境内に入っていきます。
  
境内は身動きの取れないくらい混雑しています、その中を屋台のお囃子に誘われるままにお神輿は通ります。
 
「ソィヤー、ソィヤー」「ソリャ、ソリャ」の掛け声に合わせて観音堂の前までくると、高張提灯が観音堂の階段を上って待ってました、お神輿はその提灯の灯りに誘われるかのよう「サセ、サセ、」の合図で観音様の前でお神輿を持ち上げました。(これがクライマックス)観音堂の周りにはその場景を見る人で鈴なりになってます。屋台はあらかじめ決めていた場所に納められました。観音堂横にお神輿が到着して宵宮が終了です、もちろん「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」の一本〆です。神酒所までの帰りは各町会で別行動です、私達のお神輿は行きと同じルートを取りました。合力はイヤハヤ疲れましたが近くでお神輿が見られて楽しいお手伝いでした。
  
19日日曜日の朝は天気が良く暑くなりそうでした、今年、花川戸一丁目町会は本社二之宮を宮出しの後渡御することになっているので朝7時半には馬道通りで待ち受けていました
 
歓声とともに二之宮が現れました、本社神輿は町会のお神輿よりひとまわり以上大きく立派です、無事引き継ぎも終えてこれから町会の担ぎ手の出番です。
 
馬道通りを吾妻橋に向かって進み江戸通りに曲がります。お神輿の通る道順はあらかじめ決めていますがその道順を「朱引き」といい、41町会をすべて周るように作られています。「花川戸一」は交通量の多い道ばかり通りますが、町会の役員がお神輿の前で車を片側に誘導しているので心配なく楽しめます、江戸通りから東武線のガードを通過してニ天門通りに入り花川戸公園の前で無事「花川戸二」に引渡ました。約一時間の行進でした、町会神輿が出るのはお昼頃なのでそれまではお囃子も休憩です。
 
町会神輿が出発します、屋台もいよいよ最後の出番です、町内を練り歩いた後雷門通りに入りました。既にあちこちの町会からお神輿が出てきています、お祭広場になっているので見物してる人が大勢います、お囃子をやっている屋台の前で記念写真を撮りにくる人、演奏している娘さん達だけを撮りにきているカメラマンなどお神輿以上に目立っているように見えました。
 
さあ、いよいよ雷門から入ります、屋台を車道から段差がある歩道に乗っけるのはは青年部の方がお手伝いしてくれました、雷門の大きな提灯は畳まれていました。仲見世通りは石畳になっているので、車輪は合わせやすいのですがすこし傾斜がついて油断をしてると屋台の向きがずれてしまいます、動きが止まってしまうと直すのがたいへんです、とまらないくらいにノロノロ進むようにするのがコツと教えてもらいました。
 
宝蔵門まで行くのに時間がかかりました、あちこちからお神輿が入ってきて、お互い詰まっているので各責任者がその場で決めていてその合図で動いているのです。観音様の前ではお神輿を高く差し上げました、その後、浅草神社にお神輿だけ入っていきました。
 
帰りはニ天門から出ました神酒所に着いたときはへとへとでした、神酒所でお神輿をおろした後の拍手は三本〆でこれですべて終了での合図です。
「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」
「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」
「シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン」